闇の国体勢力の力の源泉はどこから得ているのか?日本の建国の歴史における、「うそ、偽り、創作、操作、でっちあげ」、が無限にパワーを供給するからである。 

日本国と日本国民を動かす仕組みは、選挙で選ばれる政治家と選挙などない官僚による「政体」とよばれているものである、ことは知られている。
しかしこの「政体」をどこかで秘かに動かしている「国体」という仕組みが稼働していることは、ほとんど、あるいはまったく、国民には知らされていない。

「国体」を規定する法律もなければ厳格に縛る憲法もない。「どこのだれ」が国体を動かし国体勢力を構成しているのか、まったくわからない。それは、法を超越し、構成する個々の人間を超えている。



国体が政体に介入し秘かに政体をコントロールし支配する、入口は、暴かれている。

それは、「超法規」で「非合法」な「非公開」な「闇で透明」な、強力な権力作用で、動く。

『日本国で総理大臣となったものは、最高裁判所のとある一室に呼び出され、そこで国体を代理するものが姿をみせ、総理大臣に国の施政の基本をブリーフィングし、総理は書類にサインすることが求められる』 (原田武夫氏の公開情報)


「超法規」で「非合法」な「非公開」な「闇で透明」な、「強力な勢力」は厳然と国の最高位として実在している。



この「国体勢力」はいうまでもなく日本の天皇制と密接に結びついている。しかしそれは、「ねじれ」をもって。

いわゆる天皇制は、憲法、皇室典範を含めた国民に共有されている制度慣習、心根で出来あがっている「おもての天皇制」というものであり、国体勢力が「闇で透明」な勢力として実在するのは、「うらの天皇制」があり、そこにある秘密を隠し、それを「おもての天皇制」と想わせ、日本国民に「天皇制」をけっしていつまでも醒めない幻想として強制しつづけることで、国体を維持しようとする、というところに、その存在理由を持つからだ。


「闇で透明」な国体勢力が政体に介入したことを類推的に示す歴史上の「悲劇」「破局」「地獄」というものが存在している。



●広島 日本のいちばん長い醜い日 根源的階層の選択、原爆投下という国民いけにえ儀式 
http://yaplog.jp/kenchicjunrei/archive/146


原爆投下は日米の軍事談合による人体核実験として進められた。

広島の爆心予定地には第二総軍(本土決戦用の関西より西日本の主に陸軍)と学徒たち4万5千人がいけにえとして集められていた。原爆の爆発は8時15分と日米ともになっているが、実際には8時6分だった。つまり核が爆発したときはエノラゲイは爆心地上空のヒロシマには来ていなかったのだ。

日米の原爆についての公式見解とは裏腹に、日本には、原爆は「日本製」で、エノラゲイが投下したのではなく、日米の軍事談合として「地上起爆」であった、という説が根深く燻ぶりつづけていた。



●核兵器密造の裏政策を推し進めてきた日本の奥の院は、超法規武装部隊で国民を武力支配 
http://yaplog.jp/kenchicjunrei/archive/179  


日本各地で原発を拠点にプルトニウムと核兵器、核ミサイルを密造し続け、

そして
・プラズマ兵器、電磁波兵器による巨大地震津波攻撃を、世界の闇権力で談合、起こす

・人体をターゲットにした脳と生体を遠隔攻撃する電磁波兵器による「生体乗っ取り」と「生体拷問攻撃」、で国民を武力支配

といった、超兵器の開発と製造と、24時間一秒の休み無い稼働の実行を、行ってきた。



政治家と律令起源の官僚の「政体」より上位の、この国を支配する闇の「国体」勢力、 国民に知らされていないもう一つの天皇制、 そしてそれらを支える非合法武装集団の存在。

どうして彼らが裏の勢力として存在できるのか?その権威を形作る「力」の源泉がどこにあるか? 問題は、この一点に集約される。



かれらにとって、権力のすさまじい源泉となっているのは、---「ねじれ」そのもの、――― 日本の建国の歴史、天皇家の成立の歴史、における、「うそ、偽り、創作、操作、でっちあげ」、に他ならない。


『近畿の大和政権は、王朝が九州に建てられ九州に実在した故事を、近畿に置き換えた、にせものの歴史、である。』

『近畿の飛鳥奈良大和王朝は、神武が創始した九州豊国邪馬臺國(やまと国)王朝以来のオリジナルの故事と地名を騙った、コピー品である。』


にもかかわらず、日本人にはもはや動かし難い模造の歴史を近畿に堆積させてきた。



それは、九州豊国邪馬臺國(やまと国)王朝以来のオリジナルの故事と地名を、そのまま複製したものでは、まるでなかった。

ある巨大な『ねじ曲げ』の意思をもって、故事と地名は、知能のたけた者によって、編集がくわえられ、そうして古事記、日本書紀となった。



おもな『ねじ曲げ』の歴史編集方針

・親と子の関係の捏造・・・ 万世一系を錯覚させるためにすべての王は女神天照大神に始まるように設定

× スサノオは天照大神の子 スサノオは天照大神の弟
 スサノオは国譲りせず、天照大神=男王・天孫ニギハヤヒに倒された

・年のスリ変え ・・・・・ × 神武は紀元前660年に即位
神武はニギハヤヒを倒し、紀元121年に即位
 神武とニギハヤヒは勢力の権力闘争があり時代は接近している。


・敵対関係を味方や家来にする・・・景行とヤマトタケルは敵として戦争したが、
× 親と子や家臣にした 




以下に、豊国邪馬臺國(やまと国)での、神武天皇の邪馬臺國創始と即位から、卑弥呼、トヨ、景行、ヤマトタケル日本武尊、神功、倭の五王、「武」「継体」、天智、天武までの故事の概略をあげる。


●男王(神武)から70~80年ののち、(200年に)、豊国邪馬臺國(やまと国)の王へと共立された卑弥呼と、継ぎとなった卑弥呼の娘、トヨ。この時代、倭国大乱は収まり安穏が訪れた。。


●播磨日向(現・宮崎県)から豊ノ国やまと国を征伐にきた景行は、草なぎのツルギを所持しておらず天皇ではなかった。 
300年前後に、景行 対 日本武尊 の戦さ。


ヤマトタケル日本武尊が、天皇の草なぎのツルギをもって倭国邪馬臺國王朝を防衛。


●近畿の東テイ国から侵攻してきた神功皇后が、ヤマトタケルの孫を倒し草なぎのツルギを奪い、筑紫と豊の国やまと国を征覇。
紀政権を立て 三潴郡(現・久留米市)、ミヌマに皇都を置く。
大善寺玉垂宮と朝妻の曲水の宴 ここにいったん豊国邪馬臺國は滅ぶ。


●倭の五王の「武」と「継体」のとき、豊国邪馬臺國が復権。



●筑紫、豊国での最後の故事:壬申の乱 大海のみこ天武天皇の豊国北伐で、天智天皇は遠賀湾で自殺か他殺。


●九州豊国邪馬臺國(やまと国)王朝は、天武の壬申の乱以後、筑紫大地震が起こった以後、近畿に民族大移動。

豊国邪馬臺國天皇家は、豊国邪馬臺國にあった地名と、豊国邪馬臺國ですでに実施されていた律令制度と貨幣の鋳造と、寺社建築の技術をもって、一切合財、近畿奈良に大引越しした。


そこから、近畿の天皇家とその実体をもつ故事は始まり、地名、寺社建築が、律令制や貨幣制が、開始ないし再構築ないし移築が活発におこなわれた。


豊ノ国にあった現在は国宝級の神社と寺は、およそ百年かけて、近畿奈良に移築した。

太宰府、観世音寺 ⇒ 奈良の飛鳥、法隆寺


※参照記事

飛鳥という地名と法隆寺建築技術は九州王朝の文明システムだ。
http://yaplog.jp/kenchicjunrei/archive/190




さて、

偽物が本物にすりかわる、という「ねじれ」が生む「隙間」には、

にせの故事、歴史、神話が、いつまでも醒めない幻想として強制され続け得るように、

国民を監視し罰をくわえさえするための、闇組織、非合法で非公然の闇の結社が要請される、ことになる。





『近畿の飛鳥奈良大和王朝は、神武が創始した九州豊国邪馬臺國(やまと国)王朝以来のオリジナルの故事と地名を騙った、コピー品である。』

このことの出典元ともなっている講演動画を紹介しておきます。



●「神武は筑豊に東征した!」福永晋三

https://youtu.be/zfWYmfHj0lU   ← クリック

「神武は筑豊に東征した!」福永晋三
1:57:03
Natou Takeo

和歌が解き明かす古代史
「天香具山は 銅が採れる 金が採れる 鉄が採れる」

2014/04/27 に公開

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