「古墳」は「墓」である、とはまったくの思いこみだ。邪馬台国と卑弥呼が消滅して、近畿地方に大和王朝が成立した、とはこれもまったくの刷り込みだ。神武が121年に倭国豊ノ国に、邪馬台(やまと)王朝を建て、200年に卑弥呼が女王として即位した。 

近年、日本の歴史では弥生時代の次に古墳時代とし飛鳥時代ないし大和時代のまえにこれをはさむ。飛鳥、大和王朝の建国のまえの、豪族の連合の国の時代を古墳時代とし、この代表のイメージが卑弥呼であり、邪馬台国となっている。卑弥呼の邪馬台国は大和王朝が成立するまえの豪族の連合の国の時代を意味し、この邪馬台国と卑弥呼が消滅して、近畿地方に大和王朝が成立した、と日本人の圧倒的多数が、そのように認識し、生まれながら...
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スサノオ 素戔男尊の出雲王国は、九州豊ノ国の安心院が本拠地。素戔男尊はニギハヤヒ 饒速日尊=天照大神に豊ノ国で処刑され、島根の出雲へは素戔男尊の子と一族が追放された。スサノオは天照大神に「国譲り」などしていない。 

日本の古代史は、大間違いの神話と故事があまりにも多く、間違いの度合いも、悲惨すぎる。スサノオによる出雲王国は、現代もあの出雲がある、島根ではなく、九州の北東部の豊ノ国を指し、現・大分県、安心院(あじむ)の出雲、が根拠地。ニギハヤヒ 饒速日尊は、たじからのみこと 手刀男命の手助けで、天の香(具)山の岩屋戸(なつは なつよし 夏羽 焼の荘)で スサノオを処刑。石のスレートで圧死。もちろんスサノオはニギハヤヒ=...
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近年架空の人物とされる飛鳥斑鳩にいた聖徳太子は、同じ600年代初頭、九州筑紫の邪馬臺國(ヤマト国)の都・太宰府に天皇として実在した。その地で冠位十二階を制定し、遣隋使を出し、仏教を信仰し半跏思惟の座禅を組み、法興寺=のちに移築され法隆寺、を建立した。 

満鉄調査部の出身で早大教授となった津田左右吉(つだ そうきち)は、戦前に、2代綏靖(すいぜい天皇)から9代開化(天皇)までの八代の天皇を「欠史八代」とし、これに続く10代崇神(天皇)、11代垂仁(天皇)、12代景行(天皇)、13代成務(天皇)、14代仲哀(天皇)および神功皇后までの実在を否定する、「欠史13代不在説」を主張し、弾圧も受けた。戦後は、一転して、津田の「欠史13代不在説」は、日本の歴史学会と社会文化一般...
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『源氏物語』の舞台の「桂離宮」は、その時代には倭国王朝の都、太宰府の水城にあったものを江戸時代に京都に移築したもの。奈良飛鳥の現在の法隆寺は、670年に全焼失した倭国朝廷による法隆寺(若草伽藍)跡横に、太宰府に建っていた倭国王朝の法興寺を移築したもの。 

奈良や京都の現在の古都文化、法隆寺、東大寺、桂離宮といった、現代の日本人がこれぞ日本文化の華、日本建築の粋、と思う感じているものは、じつは、日本建国時の500年代後半から600年代初頭には、九州倭国やまと王朝の文化資源としてあったものをそっくりそのまま、その後、解体し移築したものなのです。京の庭園_桂離宮 紹介●京の庭園_桂離宮 Katsura Imperial Villa9:16Sunday Sharakuhttps://youtu.be/PVSiQdOW09Y2016/04/27 ...
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近畿のヤマト朝廷が唯一無二という歴史の常識反して、ここにも九州ヤマト朝廷論のひとがいます。もとは倭国にいた天武天皇の「壬申の乱」による即位は正統なものではなかった。『日本書紀』は、倭国の記憶を取り組み、倭国の存在を抹殺して作られた。 

守谷健二という方は、正統にも次のことを言っています。七世紀半ばでも日本列島は単一王朝の時代ではなかった。「白村江の敗戦(663)」で知られる唐・新羅連合軍と戦った『倭国』は、近畿大和王朝ではない。九州筑紫を京とし、日本列島の代表王朝であった。近畿大和王朝の上位者と振舞っていた。『日本書紀』は、倭国の記憶を取り組み、倭国の存在を抹殺して作られたのだ。唯単に天武天皇を正統化するために。「壬申の乱」の天...
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