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おもての福岡圏・特集。飯塚、直方、田川市よりも、古代から筑豊の中心地だった田川郡香春町。そして筑紫国の中心地だった、旧筑紫郡太宰府市。ついでに福岡市、西新・百道地区。この三つの古代からの日本建国の歴史を持つ土地を、タレントと一緒にそぞろ歩く。 

裏の福岡圏特集は次回、として今回は、■特集 おもての福岡圏  田川郡 香春町昭和の香春町。五木寛之『青春の門』は、筑豊、香春岳三山を仰ぐ、香春町が舞台。高倉健は、遠賀川と筑豊炭田の中間市出身。 井上陽水は筑豊、嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市幸袋)生まれ、田川郡糸田町育ち。福岡圏内で外に出ることがない、なんしようと?。https://youtu.be/MUmgIHRqbyk華丸・大吉のなんしようと? 2016年9月9日 160909 ジャルジャルと香...
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『(新) 日本の黒い霧』の日月土氏も、遣唐使の時代、600年代、日本の都は(九州筑紫の)太宰府だった、とし、さらにこの地福岡をフィールドワークして、卑弥呼の邪馬台国と墓を特定することができた、と言っている。 

このブログのカテゴリー「歴史・日本建国」で、近畿の大和王朝は、偽物である。日本書紀を故意に誤解釈して天皇家のルーツとした、近畿の大和王朝は、九州豊国筑紫国で起ったオリジナルの邪馬台(やまと)王朝を、その故事と地名と建築物でもって、近畿奈良に移植した、模造品である。と繰り返し言ってきた。本来ヤマトと言っていた、邪馬台(やまと)国を後代、ヤマタイ国とも言ってしまうので、ややこしくなるが、邪馬台(やまと)国の...
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日本書紀が隠蔽し、または正しく書かなかったこと。神武、卑弥呼、ヤマトタケル、神功、の真実。それと筑紫国筑後みぬまの皇都(久留米)の紀氏やまと王朝と豊国天氏やまと王朝の並立パラレルワールド。 

■神武の東征は、火の国菊池から火の国肥前・筑紫国・豊国への東征が、真実の東征。神武は近畿へ東征などしなかった。しかしこれに、瀬戸内を伝って近畿へ東征の部分を、神武が倒した倭奴(ぬ)国の王・ニギハヤヒ(男神・天照大神)の次男のウマシマジ宇摩志麻遅命が率いる物部族による、豊国から近畿への、ニギハヤヒを始祖とする物部氏東漸(東征)を、すり替えて持ってきて、神武は瀬戸内を伝って近畿へ東征した、としたもの。よくあ...
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日本列島に現代まで続く、エタ ヒニン、部落差別、朝鮮人差別。その淵源は、古代の、弥生人による邪馬臺(やまと)王権争奪と、タルムード・ユダヤ教、悪魔崇拝イルミナティ源流、の流入にある。 

紀元300年代までの日本建国時の日本原住の縄文人は、日本列島における弥生人による王権争奪で、ーーー 九州豊国に、神武天皇による、やまと(山門)国(邪馬臺國)、を作った王朝側の縄文のひとびとは、やまと(邪馬臺)王朝を倒しに来た侵略者によって、熊襲、土蜘蛛、はなたれ、耳垂れ、鬼、などと蔑称された。差別の根源、発生のなりたち、というものは何か、を知りたいものだが、さて、そこにある古代の差別蔑視は、いったい、「...
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神武天皇も崇神天皇も垂仁天皇も卑弥呼も、大物主もスサノオもニギハヤヒも、豊国、現・筑豊に居た。日本書紀に記されていた卑弥呼らしき人物の痕跡。卑弥呼の墓は最後の殉葬。そのあと埴輪が豊国、現・筑豊で誕生。 

神武天皇の東征。神武は瀬戸内、近畿へと東征しなかった。近畿にヤマト王朝の元をつくったわけではない。神武天皇は熊本県「阿蘇郡蘇陽町(現・山都町)斗塩」で生誕し、熊本県「鹿本郡菊鹿町」(旧・肥後国山鹿郡日向村)の吾平山のふもとで育ち、そして父ウガヤフキアエズと、熊本県火国から福岡県筑紫国、豊国へと東征に出発した。 神武天皇の東征と大和王朝創始のはなしは、九州豊国の天の香具山への東征、ニギハヤヒの倭の奴(ぬ...
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